こんにちは(^^) totoです。
前回、1歳から児童養護施設で育ったとお話ししました 。今回は、1歳から小学校高学年まで、私がどんな思いでその場所で過ごしていたのか、当時の記憶を少し紐解いてみようと思います。
実は、1歳から小学校2年生までの幼少期の記憶は、私の中にほとんどありません。
きっと、小さな私が寂しさから自分の心を守るために、記憶に蓋をして一生懸命生きていたんだなと、今なら分かります。
そんな私が、少しずつ「周りと自分は違うのかもしれない」と気づき、寂しさと戦い始めたのは、小学校3年生くらいからのことでした……。
参観日の時や運動会の時、バザーの時に皆お母さんやお父さんが来てて、でも私は施設の先生で。
特に運動会は皆おばあちゃんおじいちゃんお父さんお母さんが見に来てて、〇〇ちゃん可愛い!頑張ってね!!とかいっぱい写真撮ってもらってて。
私は少し撮られるだけ。
有難い事に美味しい大きいお弁当はあって施設の先生も見に来てくれていたけど
施設のみんなで集合して周りは家族なのに私は違う。なんか恥ずかしい。
私も家族で食べたいし、周りの目を気にするのが辛い。寂しい。
友達は当たり前にいる親の存在。家族の存在。無償に受けてる愛情がある。
あー。私は施設の子で親がいない可哀想な子なんやな。他の子と違うんや。そこで感じました。
学校でも先生。家に帰っても先生。
甘えたくても甘えられない。辛い寂しいあれしたいこれしたいが自由に発言出来ない。
〇〇ちゃんが新しいゲームとか鞄や服買ってもらってて羨ましいけどそんなん買ってもらえるわけない。
友達は普通の家があって家族がいて自由に遊んでいて友達同士の家族で出かけたりもしてて自由にやりたいこと行きたいこと自分の気持ち伝える事が出来てて。
わたしは我慢我慢我慢の日々。
辛いな寂しいなって思っても
常にいい子でいないとちゃんとしておかないと先生の機嫌が悪くなって当たられるのが怖くて常に誰かの顔色を伺う様になりました。
「なんで私には、当たり前に甘えられるお父さんやお母さんがいないんだろう」
我慢して、寂しくて、夜こっそり泣いていた私。
あの壮絶な我慢の日々があったからこそ、
でも、その傷はいつか、同じように悩む誰かを優しく照らす「光」に変わります。
「これまで一生懸命、生き抜いてきてくれてありがとう」
って、自分自身をぎゅっと抱きしめてあげてくださいね。



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